はじめに
はじめまして、TalentXでAIエンジニアをしている奥村です。普段はプロダクトを横断して、AI機能の企画・実装を担当しています。
ちょっと唐突ですが、こんな経験はないでしょうか。
スマホのリマインダーアプリが「会議の時間です」と何度通知を送ってきても、「はいはい、分かりましたよ」で終わります。でも同じことを人が「会議の時間ですよ」と何度も声をかけてきたら、3回目くらいから「すみません、何度も言わせてしまって」と気が重くなる。
同じ情報、同じ依頼回数。違うのは「誰が言ってきたか」だけ。なのに、感じ方はまるで違う。
この何気ない違和感を、社会心理学や行動経済学の研究を頼りに掘り下げていきます。
少し長いですが、お付き合いください・・!
- はじめに
- 1. 「お願い」って、実は重い
- 2. AIだと、なぜ角が立たないのか
- 3. でも、なんでもAIに任せていいわけではない
- 4. 日本では、効きやすい条件がある可能性
- 5. では、AIエージェントの「境界」をどう引くか
- 6. まとめ
- 最後に
- 参考にした論文・記事
1. 「お願い」って、実は重い
例えば採用担当者の立場になって、ちょっと想像してみてください。
ある候補者に「面接の日程を変更してほしい」とお願いするメールを書きます。1通目はまだいい。2通目、3通目になると、書く側もだんだん辛くなってくる。「申し訳ない」「迷惑をかけている」という気持ちが積み重なる。
実はこれ、心理学でも扱われてきたテーマです。
人には「メンツ」がある
Brown と Levinson という研究者が1987年に整理した有名な理論があります。Politeness Theory(ポライトネス理論) と呼ばれるもので、人間関係のコミュニケーションには face(フェイス、メンツ) という大事なものが関わっている、という考え方です。
フェイスには2種類あります。
- Positive face(ポジティブ・フェイス): 人から良く思われたい、認められたい
- Negative face(ネガティブ・フェイス): 自分の自由を干渉されたくない、指図されたくない
人に何かを「お願いします」と頼むのは、相手の Negative face を脅かす行為です。理由は相手の自由を制限することになるから。これを Face-Threatening Act (FTA) と呼びます。
そして依頼の重さは、3つの要素で決まります。
- 相手との力関係(部下から部長へ頼むのは重い)
- 相手との距離感(初対面の人に頼むのは重い)
- 依頼内容の文化的な負担(時間を奪う、お金が絡む、何度も繰り返す、など)

面接の再調整依頼って、この3要素がすべて重なりやすいんですよね。相手の貴重な時間を奪い、それを何度も繰り返す。重く感じるのは自然 です。
頼む側の負担
先ほどもお話しした調整依頼のように、依頼は 頼まれる側・頼む側双方に負担 がかかります。しかし、どちらにより負担がかかるかと言われると頼む側です。
2010年の Bohns と Flynn の研究 "Why didn't you just ask?" によると、頼む側は「断られたら気まずい」「迷惑をかけて申し訳ない」と気を遣っているのに、頼まれる側はその気遣いに気づかず「気軽に頼めばいいのに」と思いがち、という結果が出ています。
さらに2025年に出た経済学の論文 "It Hurts to Ask" では、もっと深い話が出ています。
人に何かを頼んで断られたとき、私たちが感じるのは「協力してもらえなかった」という事実だけではありません。「自分は、相手にとってそこまで大事な存在ではなかった」「この関係って、思っていたほど深くなかったのか」という、自分の価値や関係性についての辛い情報まで、同時に受け取ってしまいます。
だから、本当に必要なことでも「頼まないほうが安全」と感じてしまう。論文タイトル通り、頼むこと自体が辛い ということですね。
つまり、こういうこと
依頼という行為は、
- 頼まれる側のNegative faceを脅かす
- 頼む側のPositive faceも危険にさらす
ダブルでメンツを傷つけうる行為 だった。
採用担当者の繰り返しのフォローやリマインドの仕事が、「ただの事務作業」ではなく、見た目以上にしんどい。それは、個人の性格や根性の問題ではなく、人間にはそうした認知傾向がある から。
2. AIだと、なぜ角が立たないのか
さて、本題のAIの話に入ります。
- ChatGPTに「もう一度試してみて」と何度言われても、特に何も感じない。
- でも同僚に「もう一度やってみて」と3回言われると、ちょっとムッとする。
この違いは何でしょう?
人は機械にも、社会的に反応する
ReevesとNassが1996年に出した The Media Equation という本があります。彼らがそこで主張したのは、人は機械やコンピュータに対しても、ある程度は人間相手と同じように社会的に反応する ということです。
たとえば、コンピュータに「すみません」とつい謝ったり、AIアシスタントに「ありがとう」と言ったりする。礼儀や互恵性のスクリプトが、相手が機械でも反射的に発動する。これを CASA(Computers Are Social Actors)パラダイム と呼びます。
ただし、感情的なコストは軽い
ここがポイントなのですが、2000年のNassとMoonの論文 "Machines and Mindlessness" で重要なことが言われています。機械への反応は、人間相手の反応と完全に同じではない。
- ChatGPTに「ありがとう」を言い忘れても、罪悪感は残りません
- AIの提案を3回連続で却下しても、気まずくありません
- でも同僚相手だと、両方とも少し気になります
社会規範のスクリプトは機械相手でも自動的に発動するけれど、それに付随する感情のコストは、人間相手よりも大幅に軽い。これが「AIだと角が立ちにくい」の中身です。
AIが間に入ることで、依頼の重さが軽減される場合がある
1章のFTAの3要素(力関係・距離・文化的負担)をAIに当てはめてみると、面白いことが起きます。
- 力関係: AIと人間の間に、部長・メンバーのような上下関係はない
- 距離: AIに「親しい/疎遠」は存在しない
- 文化的負担: AIに頼むことの社会的な「重み」は、人間に頼むほど確立していない
結果として、適切に設計されていれば、次のような効果が期待できます。
- 依頼を受けた候補者: 「担当者個人から圧をかけられた」と感じにくい
- 依頼を出した採用担当者: 「自分が押し付けている」という感覚から少し解放される
もちろん、AIを挟めば必ず好意的に受け取られるわけではありません。候補者が「機械的に処理されている」と感じれば、むしろ体験は悪くなります。ここで言いたいのは、AIが人と人の間に適切に配置されると、依頼に伴う心理的摩擦の一部をAI側に逃がせる場合がある ということです。
おまけ:「個人 vs 仕組み」というフレーミング
ここまでは「AIが間に入ると依頼が軽くなる」という話でしたが、もうひとつ補足を。
この効果、実は AI に限らず "ツールが間に入る" こと全般で薄く起きている 現象です。たとえば、上司から部下への催促を、上司本人ではなくスケジューラ経由で届くようにすると、内容は同じでも「人格的な圧力」のニュアンスが薄まります。受け手が「個人からの催促」ではなく「仕組みからの通知」として処理しやすくなるためです。AIエージェントが間に立つと、この効果はより強く出ます。
ここで注意点をひとつ。この現象は「責任の所在そのものが変わる」という話ではありません。依頼や運用の責任は、AIではなく引き続き採用担当者や組織側にあります。変わるのは、受け手側の体感のほうです。
逆に言うと、「リマインドを送ってきているのは担当者個人ではなく、採用フローの一部としてのAIです」という構造が、候補者と採用担当者の双方に共有されていること が、この効果が成立する前提になります。AIの介在が不透明だと、この設計の効きはむしろ逆方向に働き得る ― この論点は5章でも触れます。
3. でも、なんでもAIに任せていいわけではない
「じゃあもう、全部AIに任せちゃおう!」
・・と思いたいところですが、ちょっと待ってください。AIに任せたほうがいい仕事と、任せると逆効果になる仕事があります。
アルゴリズムを嫌う人、好む人
AIに対する人間の態度については、長らく 正反対に見える2つの観察 がありました。
ひとつは Algorithm Aversion(アルゴリズム回避)。 2015年のDietvorstらの研究では、アルゴリズムが人間より正確だと知っていても、エラーを一度見ると人間の判断を優先する傾向が示されました。
もうひとつは Algorithm Appreciation(アルゴリズム選好)。 2019年のLoggらの研究 "Algorithm Appreciation" では、アドバイスがアルゴリズム由来だと提示されたほうが、人はそれを より重視する という、逆の傾向です。
人はアルゴリズムを嫌う?それとも好む?
答えは「タスクによる」
この一見矛盾する話を整理したのが、Castelo・Bos・Lehmannが2019年に発表した Task-Dependent Algorithm Aversion という研究です。
オンライン上で行ったラボ実験4本(参加者1,400人超)と、大規模フィールド実験2本(参加者 56,000人超)を組み合わせた研究を行い、決定的なポイントを見つけました。
人がAIに任せていいと思うかどうかは、タスクの主観性で決まる。
- 客観的なタスク(数値計算、論理判断、ルールに従う仕事など)→ AIに任せたほうがいい、と感じる
- 主観的なタスク(人格評価、感情理解、文化的判断など)→ AIには任せたくない、と感じる
ただしこれは、あくまで第一段階の境界線です。次の章で、この境界に日本という地域特性がどう乗ってくるかを見て、そのあと境界そのものを設計でどう動かせるかを考えていきます。
4. 日本では、効きやすい条件がある可能性
ここまでの話は世界共通の心理メカニズムでした。でも日本には、もう1つレイヤーがあります。
「お忙しいところ恐れ入りますが」の重さ
日本のビジネスメールには必ずクッション言葉が入ります。
「お忙しいところ恐れ入りますが」 「ご無理を申し上げて誠に恐縮ですが」 「重ね重ね申し訳ございません」
Brown と Levinsonの理論で言うと、これは negative politeness strategy(侵害を和らげる婉曲化)の典型例です。でも日本語では、これが慣習化・形骸化するほど密に必要とされています。
書く側にも、読む側にも、認知的な負担がのしかかります。
- 担当者は1日に何十回もこのクッションを書く
- 受け手も1日に何十回も「ご面倒をおかけしますが」を読む
フォローが2回、3回と重なるごとに、枕詞は重くなり、書く側の心はすり減っていきます。
上下関係が、依頼を重くする
加えて、日本のビジネス文化には 上下関係を跨ぐ依頼の特別な重さ があります。
新人の人事担当者が、部長クラスの面接官に「日程の再調整をお願いします」と伝えるのは、単なる業務依頼を超えた人格的負担を伴います。
AIエージェントが代行することで、この上下関係由来の重みが軽減される可能性がある。AIに上下関係はないからです。
日本では、AIを感情的な対話相手として受け入れる土壌がある可能性がある
電通が2025年7月に発表した面白い調査があります。
対話型AIを週1回以上使う人の 64.9% が「AIに感情を共有できる」と答えています。これは「親友」(64.6%) や「母親」(62.7%) と肩を並べるレベル。
日本社会には道具やキャラクターに人格を見出す傾向(アニミズム的世界観)があり、これがAIへの受容性を高めている可能性があります。
ちなみに、同様の話に触れている三宅陽一郎『AIはニュータイプの夢を見るか』はとても興味深くおすすめしたい一冊です。
つまり、日本市場はAIエージェントが活きやすい余地がある
整理すると、
- 日本では、依頼の言語的負荷がもともと重い
- 日本人は、AIに対する人格的な受容性が比較的高い
この2つが重なる結果、少なくとも日本市場では、「AIに任せると角が立ちにくい」効果が出やすい余地があります。
5. では、AIエージェントの「境界」をどう引くか
ここまでの4章で見てきたことを、まとめておきます。
- 依頼は 頼む側にも頼まれる側にも 重い(1章)
- AIが間に入ると、依頼に伴う心理的摩擦の受け取られ方が変わる(2章)
- ただし、AIに任せていい仕事と任せるべきではない仕事には 境界がある(3章)
- 日本では、これらの効果が 言語・文化の特性によって増幅される(4章)
ではこの境界を、どう引くか。鍵になるのは、「AIか人間か」の二択ではなく、「AIをどんな配置で、どんな振る舞いで使うか」という設計問題 として捉え直すことだと考えています。
「判断」と「伝達」を分けて考える
採用AIの議論で重要なのは、「判断までAIに任せるか」ではなく、「判断」と「伝達」を分けて考えること だと思っています。
たとえば、選考結果の通知のようにセンシティブな情報を伝える場面を考えてみます。ここで本当に重要なのは、候補者を評価し、最終判断の責任を引き受けることです。この部分までAIに委ねると、候補者は「自分が一人の人間として見てもらえていない」「機械的に処理された」と感じやすくなります。
一方で、その判断をどのような文面で、どのタイミングで、どの程度の丁寧さで伝えるかには、別の設計余地があります。つまり、次のように分解できます。
- 判断の重みは人間が引き受ける
- 伝達の摩擦はAIが引き受ける
この分解をすると、3章で引いた「主観的タスクはAIに任せにくい」という境界線が、少し違って見えてきます。制約が強く効くのは、主に 「判断もAI、伝達もAI」 にした場合です。これを 「判断は人間、伝達はAI」 に分けると、AIエージェントを活かせる接点が広がります。
また、伝達の摩擦をAIが引き受けるとはAIに責任を転嫁できるという意味ではないことには注意が必要です。誠実さや相手と向き合うことを放棄することは推奨しません。
AI-MC:「人と人の間にAIを置く」という発想
上記の考え方に近い概念が AI-MC(AI-Mediated Communication)、つまり「AIが人と人の間に入る」という設計思想です。Hancock・Naaman・Levy (2020) が提唱したフレームワークで、AIがメッセージを生成・修正・媒介することで、人間同士のコミュニケーションそのものの性質が変わる、という視点を扱っています。
AI-MCの観点で見ると、AIは単なる自動送信ツールではありません。人間同士のコミュニケーションに発生する摩擦を、どこで、どのように、どの程度引き受けるかを設計するための媒介層です。
ここで関連するのが、Madeleine C. Elish の moral crumple zone(道徳的クランプルゾーン) という概念です(We Robot 2016 / Elish 2019, ESTS Vol.5)。crumple zone は車のフロントにある衝撃吸収帯のこと。Elish はこれを比喩として使い、「複雑な人+機械のシステムが壊れたとき、責任が特定の部位に偏って吸収される」 という構造を指しました。
ただし、元の Elish の議論で責任を吸収するのは "人間側" でした。自動運転車が事故を起こしたときに「乗っていた人が悪い」とされるような構造です。これを会話の文脈で見直したのが Hohenstein と Jung (2020) の "AI as a moral crumple zone" です。彼らは、AI が会話に介在する場面では、責任がむしろ AI 側に流れることを実験的に示しました。
本記事の文脈で重要なのは、AIを挟んでも「受け手の傷つきそのもの」がなくなるわけではない ということです。なくなるのではなく、責任の帰属先がAI側に分散する。結果として、担当者個人への風当たりが弱まり、関係を立て直す余地が残りやすくなる。そういう構造です。
1章で見た双方向のFTAも、2章で見た「反復的な接点での属人感の薄まり」も、この分解のうえに乗せると効きが分かりやすくなります。3章で引いた「第一の境界線」は、設計次第で動かせる線だった ということです。
ただし、AIが介在するコミュニケーションが常にポジティブに受け取られるわけではありません。AIの介在が不透明だったり、候補者側に「自分は機械的に処理された」と感じさせてしまったりすると、むしろ信頼を損なうリスクがあります。
そのため、「判断は人間、伝達はAI」という分担と、その分担自体が候補者にも透明であること。この2つがセットで成立して初めて、設計上の効きが本来の形で発揮される と考えるのが安全です。
それでも人間が出るべき、3つの瞬間
逆に言うと、AIエージェントを上手く配置したとしても、人間が直接出るべき場面はいくつか残ります。私が考えるところでは、大きく3つに絞り込まれます。
- 最終判断の責任を引き受ける瞬間 合否の確定、重要な評価判断など、判断の重みを 人格として引き受ける 場面。ここをAIに委ねたと知った瞬間、関係者のフェアネス知覚が崩れます
- 「この人と一緒に働きたい」と相互に思う瞬間 信頼関係の頂点を作る場面。ここは効率化の対象ではなく、むしろ 人間がしっかり時間を取るために他をAIに渡す べき場所です
- 文化的・倫理的な判断 組織の価値観・倫理規範に照らした判断。ここを機械に任せると、組織の人格そのものが揺らぎます
これら以外の接点 ― 通知、調整、リマインド、ネガティブ情報の伝達、繰り返しの依頼 ― は、適切なAIエージェント設計で 自然に受け入れられる形で代替可能 になるはずです。
問いは「任せるかどうか」ではなく「どう設計するか」
整理すると、AIエージェント設計の境界の問いは、こう言い換えられます。
「この接点はAIに任せていいか、人間が担うべきか」ではなく、 「この接点でAIをどう配置すれば、関わる人が違和感なく受け入れられるか」
3章のCastelo et al.のTask-Dependent Algorithm Aversionが教えてくれるのは「任せるべきタスクの線引き」でしたが、AI-MCの発想を入れると、その線引き自体を 設計でずらせる ようになります。
そして4章で見たとおり、日本市場ではこの設計が受け入れられやすい可能性がある。言語的負荷の高さと、対AI受容性の高さの掛け算 が、AIエージェント設計に独特のアドバンテージを与えています。
6. まとめ
「AIエージェント」「LLM」「MCP」「Agent SDK」と、HR Tech領域でも技術側の言葉がどんどん増えています。社内でもDevinやClaude Codeをフル活用していて、毎週のように新しい技術が出てくる感覚があります。
でも、AIをどこに置くかという設計判断は、技術の話だけではなく、「人間がどう依頼を感じるか」 という心理学の問いも含めて考えるべきだと、感じました。
Brown と Levinsonが1987年に書いたのは、AIが存在しない時代の人間同士のメンツ管理の話でした。それでも、その枠組みは2026年のAIエージェント設計に効果的な指針として機能します。
採用担当者がフォロー業務で消耗していくのも、やりとりの途中で返信が億劫になることの一部は、メンツの侵害が積み重なるプロセスとして説明できるかもしれません。
そして、AIは適切に設計することでこの積み重なりを 和らげる装置 として機能しうる。
以上、AIエージェントは「角が立つ仕事」をどこまで代わりにできるかでした!
最後に
TalentXでは現在、各プロダクトでAI機能の本格的な導入を進めています。技術スタック面ではDevin・Claude Code・AWS Bedrockなどを活用しながら、本記事で書いたような「どこにAIを置くべきか」の設計議論を社内でも日々重ねています。
「人間とAIの境界をどう引くか」という問いに一緒に向き合ってくれる仲間を募集しています!カジュアル面談も実施しているので、興味を持ってくださった方はぜひお気軽にご連絡ください。
talentx.brandmedia.i-myrefer.jp
カジュアル面談も行っておりますので、ぜひご応募ください!
参考にした論文・記事
- Brown & Levinson (1987) Politeness: Some Universals in Language Usage
- Reeves & Nass (1996) The Media Equation
- Nass & Moon (2000) Machines and mindlessness: Social responses to computers. Journal of Social Issues 56(1)
- Bohns & Flynn (2010) "Why didn't you just ask?" Journal of Experimental Social Psychology 46(2)
- Dietvorst, Simmons & Massey (2015) Algorithm aversion. Journal of Experimental Psychology: General 144(1)
- Logg, Minson & Moore (2019) Algorithm appreciation. Organizational Behavior and Human Decision Processes 151
- Castelo, Bos & Lehmann (2019) Task-Dependent Algorithm Aversion. Journal of Marketing Research 56(5)
- Hancock, Naaman & Levy (2020) AI-Mediated Communication. Journal of Computer-Mediated Communication 25(1)
- Elish, M. C. (2019) Moral Crumple Zones: Cautionary Tales in Human-Robot Interaction. Engaging Science, Technology, and Society 5, 40–60. (originally presented at We Robot 2016 conference, University of Miami)
- Hohenstein & Jung (2020) AI as a moral crumple zone: The effects of AI-mediated communication on attribution and trust. Computers in Human Behavior 106
- Acikgoz et al. (2020) Justice perceptions of AI in selection. International Journal of Selection and Assessment 28(4)
- Newman, Fast & Harmon (2020) When eliminating bias isn't fair. Organizational Behavior and Human Decision Processes 160
- Bénabou, Jaroszewicz & Loewenstein (2025) It hurts to ask. European Economic Review 171
- 株式会社電通 (2025) 対話型AIとの関係性に関する意識調査
- 三宅陽一郎 (2026) 『AIはニュータイプの夢を見るか: 人工知能と想像力のあいだ』青土社